皆さん、明けまして、おめでとうございます。
1.律法を守る家族 (ルカ 2:21-24)
マリアとヨセフは律法(レビ 12 章)に従い、 8日後にイエス割礼を施し、 イエスを神に差し出すために神殿に連れて行き、 清めのためのいけにえを捧げます。 「神殿に行く」ことはオプションではなく、 神への献身であり、神の召しに応えることです。 それは神の意志に対する私たちの服従と、 神の原則に従って生きたいという私たちの願望を反映しています。 私たちは神からの教会に集まれという呼びかけに従順なのでしょうか(ヘブ10:25)、 それとも教会に行けない口実を探しているのでしょうか?
2.約束を受ける高齢男性 (ルカ 2:25-35)
義と敬虔な人シメオンは、 死ぬ前にメシアに会うという約束を受けます。 神殿でのイエスとの出会いはその約束の成就です。 それは神との出会いの場としての「主の家」の重要性を表しています(詩122:1)。 ここで神の真実が明らかにされ、私たちが神の祝福を受け、 神の臨在の現れを経験するのです。 私たちは教会で神との個人的な出会いを求めているのでしょうか、 それとも単に宗教的儀式をしているだけでしょうか? 聖書の教えや異世代の兄弟姉妹たちとの交わりを通して、 神の約束を受け入れることに積極的ですか?
3.感謝する老婦人の働きと証し (ルカ 2:36-38)
夫を亡くした女預言者アンナもイエスに会い、 イエスについて証しします。 彼女の証しは、主のために働くことや、信仰を分かち合い、 神の働きを証しするという、信者としての私たちの責任の一例です。 教会は主のために働き、信仰を強め、経験を分かち合い、 霊的に互いに励まし合うのに理想的な場所です(ヘブ10:24)。 アンナは年齢にもかかわらず、積極的に働きに参加していました。 私たちは主のために働いているでしょうか(マタ16:26-27)。 教会に集まり、祈り、信仰を分かち合い、他の人を励ましているでしょうか?
皆様に神の恵みがありますように。
大槌ジョイフルハウス牧師
ミジェル・アストコンドル